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南北戦争中の戦歴

意外と複雑なんですね。
こんな仕組みになっているとは意外な事でした。


ウエストポイント時代の友人の多くが南部の将軍に就任したが、シャーマンは北軍の第13歩兵連隊の指揮官大佐に1861年5月14日に就任。同年7月21日の第一次ブルランの戦いでは、北部軍総崩れの中、軽傷を負うも、善戦。 リンカーン大統領は、准将にシャーマンを昇格させ、ケンタッキーカンバーランド戦線(ケンタッキーからテネシーにかけてのカンバーランド川沿い)の司令官とする。

ケンタッキーでのシャーマン将軍は過労とストレスで、一時期精神に異常を来たしオハイオ州の実家での静養を余儀なくされるが1862年4月6日から7日にかけてのシャイローの戦いではグラント将軍配下の師団指令官として善戦。負傷しつつも師団を指揮し、北部軍の敗走の被害を重大な物としなかった。 その功績で、同年5月1日には少将に昇格する。

1863年頃迄に、グラント将軍との間に深い信頼関係を築く。ストレスから精神的に不安定であったとされるシャーマン将軍と、アルコール依存症であったグラント将軍は、お互いに、互いが精神的に低調であった際にサポートしあったとされる。この為、1863年7月のビックスバーグの攻略、同年12月のチャタヌーガの戦いの功績は二人で分け合っている。

1864年にリンカーン大統領がグラント将軍をワシントンに呼び戻しアパラチアより東の総司令官及び、北部軍の総司令官に任命すると、シャーマン将軍は西の総司令官に昇格する。

同年ジョージア州アトランタ(風と共に去りぬの舞台となった)を攻略。占領後、アトランタを焼き払い、11月に海への進軍と呼ばれるジョージア州サバナへの進撃作戦を開始する。この作戦はジョージア州の最も肥沃な地帯を焦土と化し、また鉄道と通信等のインフラ設備は悉く破壊された。24日後の12月21日にはサバナも陥落、綿花の輸出を行う主要な港を落とされたジョージア州は完全に北部軍の手中に落ちた。

1865年にはサバナよりバージニアを目指して北上作戦を開始、途中サウスカロライナ州を徹底的に破壊、サウスカロライナ州の州都のコロンビアは焼き払われた。同年4月にはノースカロライナ州に進撃、ジョセフ・E・ジョンストン将軍を降伏させ、ロバート・E・リー将軍の率いるバージニア軍をグラントの東方面軍と戦略的に挟撃出来る位置迄進撃すると、進退の窮まったリー将軍はグラント将軍に降伏。此処に南北戦争は終結した。


引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2008年02月15日 19:30に投稿されたエントリーのページです。

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